2011年12月29日
器とステージ
人の心と関わる仕事を始めたのは13年前。
人の内面世界を知るごとに、自分を知ってきた。
自分の成長は、人との関わりの中で起こってきた。
逆を返せば、自分の器の大きさにより、
人の癒しの深さは決まってくる。
それは、カウンセリングも、講演も、演奏も同じである。
私の器によって、与えられるステージは変わってくる。
ようは、自分を整え、自分をいき続けていれば、
ステージは自ずと用意されていくということだろう。
自分の限界を自分で見積もってはいけない。
成長には終りがないからである。
与えられたところを、感謝をもって続けていくとき、
次のステージは与えられる。
人の内面世界を知るごとに、自分を知ってきた。
自分の成長は、人との関わりの中で起こってきた。
逆を返せば、自分の器の大きさにより、
人の癒しの深さは決まってくる。
それは、カウンセリングも、講演も、演奏も同じである。
私の器によって、与えられるステージは変わってくる。
ようは、自分を整え、自分をいき続けていれば、
ステージは自ずと用意されていくということだろう。
自分の限界を自分で見積もってはいけない。
成長には終りがないからである。
与えられたところを、感謝をもって続けていくとき、
次のステージは与えられる。
2011年12月27日
一息
25日のコンサートが終わりました。ほっと一息。
400人の方がいらして、本当に大盛況でした。
年内の大きな仕事は、これでひとまず終了です。
後は、ショートコラムの原稿を仕上げるくらいです。
こちらは、大雪吹雪猛吹雪でした。
明日には落ち着くようです。沖縄は、どんな年末ですかね~
さすがに、沖縄ですごしていない年末10年目です。
どんなーかんじだったかねーと、思い出すのに一苦労。
400人の方がいらして、本当に大盛況でした。
年内の大きな仕事は、これでひとまず終了です。
後は、ショートコラムの原稿を仕上げるくらいです。
こちらは、大雪吹雪猛吹雪でした。
明日には落ち着くようです。沖縄は、どんな年末ですかね~
さすがに、沖縄ですごしていない年末10年目です。
どんなーかんじだったかねーと、思い出すのに一苦労。
2011年12月19日
2011年12月14日
平和賞
先日、ノーベル平和賞の授賞式があったことは
承知のことと思います。
今回初めて、私がかつて選抜していただいた、
wourd youth choirが、その授賞式で演奏しました。
あのサウンドは、生涯忘れられません。
今回は、對馬さん(青森出身)が日本人で唯一選抜されたようです。
この経験を宝に歩んで生きたいです。
承知のことと思います。
今回初めて、私がかつて選抜していただいた、
wourd youth choirが、その授賞式で演奏しました。
あのサウンドは、生涯忘れられません。
今回は、對馬さん(青森出身)が日本人で唯一選抜されたようです。
この経験を宝に歩んで生きたいです。
2011年12月07日
変わらないもの
社会の移り変わりは、激しい。
気付くといろんなことが変わっている。
自分もきっと変わっているのだろう。
しかし、その中にあって変わらないもの
って何だろう。
変わらないものに目を留めていく。
案外、生きている中で、変わり行くものに
忙殺される以上に、変わらないものを
求めていくことが一番の仕事のように思う。
私は社会に逆行しているであろうか?
逆行していてもいい。「自分を持つ」とは
そういうことかもしれない。
変わらないもの。受け継がれる「心」
受け継がれる「命」
いつの時代も、そんなものを人は求めて
生きているようだ。
気付くといろんなことが変わっている。
自分もきっと変わっているのだろう。
しかし、その中にあって変わらないもの
って何だろう。
変わらないものに目を留めていく。
案外、生きている中で、変わり行くものに
忙殺される以上に、変わらないものを
求めていくことが一番の仕事のように思う。
私は社会に逆行しているであろうか?
逆行していてもいい。「自分を持つ」とは
そういうことかもしれない。
変わらないもの。受け継がれる「心」
受け継がれる「命」
いつの時代も、そんなものを人は求めて
生きているようだ。
2011年12月03日
2011年11月30日
言い表せない
心を言い表す言葉を捜そうとする。
書き出そうと思っても、
書き連ねることのできない自分の内面。
心は無限だと思う。
考えて考えて考えた挙句、書き出すことのできない
自分にぶつかる。
でも、同時にそれは幸せなことかもしれない。
人には、言い表せないことがある。
文字にできない感情がある。
だから人と人が、メールではなく
面と向かって対話する必要があるのだ。
文字で表現できない心があることを感謝する。
書き出そうと思っても、
書き連ねることのできない自分の内面。
心は無限だと思う。
考えて考えて考えた挙句、書き出すことのできない
自分にぶつかる。
でも、同時にそれは幸せなことかもしれない。
人には、言い表せないことがある。
文字にできない感情がある。
だから人と人が、メールではなく
面と向かって対話する必要があるのだ。
文字で表現できない心があることを感謝する。
2011年11月25日
男性性
昨日は、私自身がカウンセリングを受けました。
月に一度、スーパーバイズの意味も含め、
東京から来てくださる先生にお話を聞いていただきます。
その先生は、先日東京での私のピアノを聴いてくださいました。
曰く、「男性性を非常に感じる力強い演奏でした。
さむくにさん、以前とだいぶ変わりましたね」とのこと。
私の正直な感想は、「へー、自分にもそんなところがあるのか。
やはり少しずつ癒されてきているのかもな」という感じでした。
多分、その先生のいう「男性性」とは、力強さとか、激しさとか
そういったもの以上に、私のうちにある、「存在の確かさ」を
見てくれたのかもしれません。「自分は自分でいいんだ」と生きて
いると、存在の自信がついてくる。
今日も、自分を受け止めつつ、存在の自信をつけていきたいですね。

東京で演奏したピアノ
月に一度、スーパーバイズの意味も含め、
東京から来てくださる先生にお話を聞いていただきます。
その先生は、先日東京での私のピアノを聴いてくださいました。
曰く、「男性性を非常に感じる力強い演奏でした。
さむくにさん、以前とだいぶ変わりましたね」とのこと。
私の正直な感想は、「へー、自分にもそんなところがあるのか。
やはり少しずつ癒されてきているのかもな」という感じでした。
多分、その先生のいう「男性性」とは、力強さとか、激しさとか
そういったもの以上に、私のうちにある、「存在の確かさ」を
見てくれたのかもしれません。「自分は自分でいいんだ」と生きて
いると、存在の自信がついてくる。
今日も、自分を受け止めつつ、存在の自信をつけていきたいですね。
東京で演奏したピアノ
2011年11月24日
2011年11月23日
人は自分
人を全て「自分だと思う」練習をしている。
あれも自分、これも自分。
そうやって人を見ると、次第に見下せなくなる。
「あーあ、あんなことしちゃって、要領悪いな」
しかし、じゃ、われに振り返ったとき、自分はどうだろうか。
要領悪くて、周りも見えていない自分がいる。
やっぱり、あの人も自分である。
そうやって、人の話を聞くと、「傾聴度」が高まる。
もっというと、自分のことだと思い話を聞くので、
情報がいつもより入ってくる。
世界は宝で満ちている。
「自分発見」という宝が、約70億の周囲の人に
眠っている可能性があるのだ。
あれも自分、これも自分。
そうやって人を見ると、次第に見下せなくなる。
「あーあ、あんなことしちゃって、要領悪いな」
しかし、じゃ、われに振り返ったとき、自分はどうだろうか。
要領悪くて、周りも見えていない自分がいる。
やっぱり、あの人も自分である。
そうやって、人の話を聞くと、「傾聴度」が高まる。
もっというと、自分のことだと思い話を聞くので、
情報がいつもより入ってくる。
世界は宝で満ちている。
「自分発見」という宝が、約70億の周囲の人に
眠っている可能性があるのだ。
2011年10月31日
「こだわり」と「人生」の関係
一つのことに「こだわり」考えていく。
突き詰めて考えると、答えに出会う。
「こだわる」ということは、「見つめる」
と言うことに近いように感じる。
一つのイメージを見続ける。そうすると、
見えなかった部分の繊細さまであらわにされていく。
「見つめる」とどうなるか。
その見つめている現象に対して、目をそらさない
強さが生まれていく。見据える強さは、受け止める力となる。
受け止める強さは、器の大きさを増していく。
器の大きさは、人生の豊かさに比例する。
つまり、一つのことを考え、こだわりを持つことは、
人生の豊かさに通ずるということ。
器と言う深い井戸を掘る作業である。

突き詰めて考えると、答えに出会う。
「こだわる」ということは、「見つめる」
と言うことに近いように感じる。
一つのイメージを見続ける。そうすると、
見えなかった部分の繊細さまであらわにされていく。
「見つめる」とどうなるか。
その見つめている現象に対して、目をそらさない
強さが生まれていく。見据える強さは、受け止める力となる。
受け止める強さは、器の大きさを増していく。
器の大きさは、人生の豊かさに比例する。
つまり、一つのことを考え、こだわりを持つことは、
人生の豊かさに通ずるということ。
器と言う深い井戸を掘る作業である。
2011年10月29日
チューニング
いつも弾いているスタンウェイピアノ専門の調律師が
はるばる関西からいらした。
調律後、「試しに弾いて下さい。」と言われ、
赴くままに鍵盤に指を走らせた。
毎回そうだが、驚くほど軽い。思わず、
「鍵盤軽くなりましたね」
というと、調律師はにこっと笑い、
「皆さんそうおっしゃるんですよ。でも、鍵盤が軽く
なったのではなく、音がしっかりあってすっきりして
いるので、そう感じるだけなんですよ。
実際には重さは全然かわらない。」
なるほど、言うとおりである。とても心地のよい錯覚に
陥っていたわけである。
人生も、「自分らしさ」というチューニングがあうと、
「自分はこんなに生きやすかっただろうか?」
と思うほどになる。
来週木曜日の東京本番を前に
練習しながら
そんなことをふと感じた今日である。
はるばる関西からいらした。
調律後、「試しに弾いて下さい。」と言われ、
赴くままに鍵盤に指を走らせた。
毎回そうだが、驚くほど軽い。思わず、
「鍵盤軽くなりましたね」
というと、調律師はにこっと笑い、
「皆さんそうおっしゃるんですよ。でも、鍵盤が軽く
なったのではなく、音がしっかりあってすっきりして
いるので、そう感じるだけなんですよ。
実際には重さは全然かわらない。」
なるほど、言うとおりである。とても心地のよい錯覚に
陥っていたわけである。
人生も、「自分らしさ」というチューニングがあうと、
「自分はこんなに生きやすかっただろうか?」
と思うほどになる。
来週木曜日の東京本番を前に
練習しながら
そんなことをふと感じた今日である。
2011年10月26日
2011年10月25日
平凡と退屈の受容
自分が認めようとしていることは何か?
「平凡」であり、
「退屈」である。
自分の中にそれらのものはないという信念が
いつのまにか出来上がってしまっていた。
「特別」
自分はそうあるべきと自負してきた無意識。
その無意識を探し当てた今、自分の中の平凡さと
退屈さを受け入れる用意を始めた。
そこにとどまることも人生なのである。見過ごしてきた
事実。忘れ去られていた事実。
恥ずかしながら、平凡を受け入れる当たり前の決断を
35歳を手前にして行う。
人は見えているようで、自分のことがよく見えていない。
心を扱う仕事をしていながら、自分の心に置き去りのパーツを
作ってしまっていた。
平凡と退屈の友になろうと思う。

「平凡」であり、
「退屈」である。
自分の中にそれらのものはないという信念が
いつのまにか出来上がってしまっていた。
「特別」
自分はそうあるべきと自負してきた無意識。
その無意識を探し当てた今、自分の中の平凡さと
退屈さを受け入れる用意を始めた。
そこにとどまることも人生なのである。見過ごしてきた
事実。忘れ去られていた事実。
恥ずかしながら、平凡を受け入れる当たり前の決断を
35歳を手前にして行う。
人は見えているようで、自分のことがよく見えていない。
心を扱う仕事をしていながら、自分の心に置き去りのパーツを
作ってしまっていた。
平凡と退屈の友になろうと思う。
2011年10月23日
言葉へ潜水
今の自分をピタッといい表す言葉を捜す。
それは、自分の中に「潜る」時に見つかる。
言葉の雑踏をかき分けて、潜水している言葉に出会っていく。
忘れ去られていたけど、発したかった言葉。
今日、クライエントが発した見つけられる限りの言葉、
「仕事で駆り立てられる波を押しのけ、自分のペースを持ちたい」
実際にそうするかどうかは分からない。けれど、その言葉に出会ったことが
今日の最大の収穫と褒めにほめた。
自分を作っていくのは「言葉」なのだ。
それは、自分の中に「潜る」時に見つかる。
言葉の雑踏をかき分けて、潜水している言葉に出会っていく。
忘れ去られていたけど、発したかった言葉。
今日、クライエントが発した見つけられる限りの言葉、
「仕事で駆り立てられる波を押しのけ、自分のペースを持ちたい」
実際にそうするかどうかは分からない。けれど、その言葉に出会ったことが
今日の最大の収穫と褒めにほめた。
自分を作っていくのは「言葉」なのだ。
2011年10月22日
バランス
今週中、「ブレーキ」をかけて行動した。
今週は、ここ数週間で唯一ゆとりのある時だった。
「今週中にあれもこれもせねば」
と思うのだが、心身はやはりバランスをとろうとする。
どうもうまくいかない。そこで、
「今週は、"何もしない”ことが準備」と決めて、
過ごすと、心の奥のいろいろな声と向き合うときとなった。
でも、結果何よりも必要な心の準備が整ってきた。
「心の世界に携わる」仕事をするものにとって、
自分の内面世界を知っていることは必須だ。
来週からまた、出番が続く。1ヶ月以内に3回の出張に出る。
心のバランスをとる時間があってこその、出番である。
今週は、ここ数週間で唯一ゆとりのある時だった。
「今週中にあれもこれもせねば」
と思うのだが、心身はやはりバランスをとろうとする。
どうもうまくいかない。そこで、
「今週は、"何もしない”ことが準備」と決めて、
過ごすと、心の奥のいろいろな声と向き合うときとなった。
でも、結果何よりも必要な心の準備が整ってきた。
「心の世界に携わる」仕事をするものにとって、
自分の内面世界を知っていることは必須だ。
来週からまた、出番が続く。1ヶ月以内に3回の出張に出る。
心のバランスをとる時間があってこその、出番である。
2011年10月21日
葛藤について
「葛藤」している自分を見つめる。
①激しく自分を批判するような自分の内面
②どうにか赦そうと働く自分の内面
①②どちらにも肯定的意図があることを学んだ。
①自分を律し、成長していきたいと思う上昇志向
ビジョンに生きようとする前向き志向
正義感を持ちリーダーシップを取ろうとする自分
②やさしさであり、安心感
安堵感の中で、エネルギーを与えようとする自分
「包む」おおらかさを培うことの出来る自分
この二つは切り離されるものではなく、むしろ統合されて
一つの大きな助け手的な存在となっていく。
より、男性的な力強さと、大きく包む広さを持ち合わせていく。
全てに肯定的意図がある。
①激しく自分を批判するような自分の内面
②どうにか赦そうと働く自分の内面
①②どちらにも肯定的意図があることを学んだ。
①自分を律し、成長していきたいと思う上昇志向
ビジョンに生きようとする前向き志向
正義感を持ちリーダーシップを取ろうとする自分
②やさしさであり、安心感
安堵感の中で、エネルギーを与えようとする自分
「包む」おおらかさを培うことの出来る自分
この二つは切り離されるものではなく、むしろ統合されて
一つの大きな助け手的な存在となっていく。
より、男性的な力強さと、大きく包む広さを持ち合わせていく。
全てに肯定的意図がある。
2011年10月20日
フレーム(考え方の枠)を入れ替える
自分の嫌なところをあげてみる。
がさつ
自己管理に無頓着
雑事が大の苦手
リフレーミングしてみようと思う。
がさつ = 大胆 大きな仕事が得意 こだわりがない
自己管理に無頓着 = 人助けの名人 使命に生きている
雑事が大の苦手 = 「人に任せる」ことが出来る 視野が広い
結構、苦し紛れの変換もあるが;; まあこんなところだろう。
自分に付き合っていく作業は、骨折れることも多々ある。
しかし、自分を面倒見れるのは、自分だけなんだよなあと思う。
「捨てたい自分」「切り離したい自分」
そこんとこに、目を留める。
案外、それらの自分に助けられていることに気づく。
がさつ
自己管理に無頓着
雑事が大の苦手
リフレーミングしてみようと思う。
がさつ = 大胆 大きな仕事が得意 こだわりがない
自己管理に無頓着 = 人助けの名人 使命に生きている
雑事が大の苦手 = 「人に任せる」ことが出来る 視野が広い
結構、苦し紛れの変換もあるが;; まあこんなところだろう。
自分に付き合っていく作業は、骨折れることも多々ある。
しかし、自分を面倒見れるのは、自分だけなんだよなあと思う。
「捨てたい自分」「切り離したい自分」
そこんとこに、目を留める。
案外、それらの自分に助けられていることに気づく。
2011年10月18日
表現
内面世界を表現すること。
自分に与えられている一つの「役割」
表現することが好きなのだ。
こうやって、文章の形で表したり、
「ピアノ」に乗せてみたりする。
結局、自分を保つためには、
何かを、誰かに向かって表現することが
僕にとっては生きる術になっているのだ。
内容は問題ではない。今日も、自分が発したことにより
つながる誰かがいる。それでOK.
今、週に3~4回ほどのペースで人前に立って何かを話す。
ピアノ演奏を入れると、その倍くらいだろうか。
久々に、ブログに向かいたくなったのは、今の仕事の
ほとんどが、「型」をもっているからだ。
型の中で話すことを決めていく。時にそれが窮屈に感じることがある。
ブログは、自分で勝手にはじめ、自分勝手に休止し、気が向くと
文を気ままに走らせる。
お付き合いいただいているお友達には、申し訳ないなと思いつつ
このスタンスが好きで、勝手に癒されている自分がいる。
この時間がなんともいえないくつろぎの時間となっている。
書きながら、自己組織化(セルフオーガナイズ)している自分がいる。
僕は、何をしているのか?
方向性は「存在へむけてのメッセージ」である。これが主軸。
自分が書くことで、自分の存在へ向かう。それでよし。
そして、確認が出来たら、また立ち上がる。
このブログは、「軸を立て直す」時間といえるだろう。
世に、ライターや講演家は山といる。しかし、「さむくに色」
をこれからも追求し、発信していくことで、ほんの少しでも
世に貢献出来ればなあと考えている。
そのためにも、細くだが、長く、このブログを続けていこうと思う。
自分に与えられている一つの「役割」
表現することが好きなのだ。
こうやって、文章の形で表したり、
「ピアノ」に乗せてみたりする。
結局、自分を保つためには、
何かを、誰かに向かって表現することが
僕にとっては生きる術になっているのだ。
内容は問題ではない。今日も、自分が発したことにより
つながる誰かがいる。それでOK.
今、週に3~4回ほどのペースで人前に立って何かを話す。
ピアノ演奏を入れると、その倍くらいだろうか。
久々に、ブログに向かいたくなったのは、今の仕事の
ほとんどが、「型」をもっているからだ。
型の中で話すことを決めていく。時にそれが窮屈に感じることがある。
ブログは、自分で勝手にはじめ、自分勝手に休止し、気が向くと
文を気ままに走らせる。
お付き合いいただいているお友達には、申し訳ないなと思いつつ
このスタンスが好きで、勝手に癒されている自分がいる。
この時間がなんともいえないくつろぎの時間となっている。
書きながら、自己組織化(セルフオーガナイズ)している自分がいる。
僕は、何をしているのか?
方向性は「存在へむけてのメッセージ」である。これが主軸。
自分が書くことで、自分の存在へ向かう。それでよし。
そして、確認が出来たら、また立ち上がる。
このブログは、「軸を立て直す」時間といえるだろう。
世に、ライターや講演家は山といる。しかし、「さむくに色」
をこれからも追求し、発信していくことで、ほんの少しでも
世に貢献出来ればなあと考えている。
そのためにも、細くだが、長く、このブログを続けていこうと思う。
2011年10月16日
深遠
心の深い位置に降りて行くと、
見える景色が違ってくる。
入ってくる情報が違ってくる。
より、「響く」「触れる」
そのような情報が来る。
表層では感じることの出来ない
音、言葉、情景。
心のフィルターが取り除かれたからだろうか。
人の心に深遠な世界が与えられていることは、
財産といわざるを得ない。
見える景色が違ってくる。
入ってくる情報が違ってくる。
より、「響く」「触れる」
そのような情報が来る。
表層では感じることの出来ない
音、言葉、情景。
心のフィルターが取り除かれたからだろうか。
人の心に深遠な世界が与えられていることは、
財産といわざるを得ない。



